「甲斐の虎」と恐れられた戦国武将、武田信玄(たけだしんげんさん)の居館といえば躑躅ヶ崎の館。
しかしこの躑躅ヶ崎の館は、信玄さんではなく、そのお父さんである武田信虎(たけだのぶとら)さんにより造営されたものです。
その躑躅ヶ崎の館は、信玄さんの子の勝頼さんが1581年に韮崎に新府城を築き移るまでの約62年間、甲斐武田氏3代の居城として機能しました。
武田信虎さんが、甲斐国の領国経営の本拠とし、町の名前も「甲府」とあらため躑躅ヶ崎の館を築造するまでの間は、決して盤石な支配体制とはいえませんでした。
この頃の甲府の状況は全く平穏とはいえず、本家から分かれた国人衆や、駿河、相模などの他家勢力の侵攻に常に脅かされていました。
信虎さんはその対策として、躑躅ヶ崎の館の築造とともに、有力国人の城下町移住を行うことで城下町の整備とともに中央集権体制の確立を進めました。
途中、一部の有力国人は甲府への集住に抵抗し一斉に甲府を退去するという事件も発生しますが、信虎さんはその意思の強さと行動力をもって政策を推し進めていきました。
そして新館が完成すると、その翌年には詰の城として背後の山に要害山城を築城。
支配地の防御を固めながら、次々に対抗勢力を攻略し従属させていきました。
そして甲府開府から約10年後、信虎さんは遂に甲斐一国を統一します。
信虎さんがつくりあげた館の規模は、南北190m、東西280mで、周囲には高さ3mの土を盛り堀を巡らせたものでした。
館の南側には京の町を真似たのか碁盤目のようにつくり、館の近くには家臣達の屋敷を配置し国中の商人や職人などもその周囲に呼び集めました。
甲斐の国が潤いはじめ、これから本格的に国外へ目を向けようとしていたまさにその時、嫡男晴信さんを中心とした家臣達のクーデターが勃発。
娘婿の今川義元さんの元へ向かい甲斐を離れると、再び甲斐へ戻ることができなくなってしましました。
信虎さんには甲斐の武田家より隠居料が与えられながら、そのまま娘婿の義元の世話になる生活を送ることになりました。
その後の甲斐国では信虎さんが築いた躑躅ヶ崎の館を中心に、晴信さんにより甲府の町はさらに栄え、武田家の領地も拡大していきます。
そんな晴信(信玄)さんも1573年に遠征途中に死去すると、息子の勝頼さんがその跡を継ぎました。
勝頼さんは更に領土を拡大させ一時は武田家最大の版図を描くものの、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れ多くの優秀な家臣を失い、これまでの領国支配に大きなダメージを受けます。
勝頼さんは領国の体制立て直しのための打開策として、本拠地を府中へ移転する計画を行います。
この計画を遂行し、韮崎に新たにつくられた城は「新府城」と呼ばれ、これまでの居城としていた躑躅ヶ崎の館からは完全に移りました。
しかしその後も勝頼さんは徐々に織田氏に追い詰められていき、最後には嫡男の信勝さんと天目山で自刃。これにより戦国最強と謳われた武田家は滅亡しました。
その後、躑躅ヶ崎の館へは織田信長の家臣の河尻秀隆(かわじりひでたか)さんが居館とし政務を執ったといわれています。
※でも、本拠は岩窪館だったという異説もあるようです。
しかし武田家の滅亡後の混乱がまだ収まっていない甲斐では、明智光秀の謀反により織田信長が討たれた「本能寺の変」をきっかけに国人一揆が勃発。
同僚である森長可(もりながよし)さんや毛利長秀(もうりながひで)さんらが領地を放棄し美濃へ帰還する中、秀隆さんと滝川一益(たきがわかずます)さんは領国に留まり続けます。
しかしこの甲斐の混乱を利用し、調略の手を伸ばしたのが人物がいました。
そう、駿府の徳川家康(とくがわいえやす)さんです。
秀隆さんの所領を対象とした知行安堵状まで甲斐の武田遺臣などに発給するなど、かなりきわどい裏工作まで行っていました。
それは当然秀隆さんの知るところとなり、甲斐を手中にしようとする家康さんの意図を悟った秀隆さんは激怒。
使者であった徳川家臣の本多忠政(ほんだただまさ)さんを斬り、断行の意思を明確にします。
ところがその後、忠政さん家臣による武田遺臣の煽動という報復的襲撃により、秀隆さんは岩窪館で討たれたとも自刃したともつたえられています。
河尻秀隆さんが討たれた跡の甲府へは、事前に様々な手をうっていた徳川家康さんが入府。
躑躅ヶ崎の館はあらためて甲府支配の主城として館は拡張されると天守も築かれました。
天守は、現在ある主郭の北西角あたりにあったようですが、現在は立ち入り禁止ではっきりと観ることができません。
その後徳川家臣の平岩親吉(ひらいわちかよし)さんによって1590年に甲府城が築城されると、躑躅ヶ崎の館は不要となり廃墟となりました。
ちなみに甲府市では毎年信玄公の命日の前の金曜日から日曜日にかけて「信玄公祭り」が開催されています。
世界最大級の規模の武者行列も見れますので、おすすめのイベントです。