よく金山や銀山で用いられる精錬の方法として、「灰吹法」が挙げられます。
この技術ってどういったものかご存知でしょうか?
正直、私、全然わかりませんでした。
どのような工程があるのか、そもそもどのようなメリットがあるのかさえも…。
でも、それがやっと理解できたんです。
そう、世界遺産として有名になった石見銀山に行ったことで!
「灰吹法」、日本に入ってきたのは1533年でした。
博多の貿易商人である神谷寿禎(かみやじゅてい)が、朝鮮半島から「慶寿」と「宗丹」という2名の技術者を招いて銀の精錬を行ったのが初めといわれています。
当時、日本は銀の大産出国でしたが、まだ効率的に純度の高い銀を精錬する技術は持っていませんでした。
でも既にヨーロッパや中国等の大陸では、「灰吹法」を使用した銀の精錬は当たり前のように行われていたんです。
だから日本で産出した鉱石をわざわざ大陸へ輸送し、そこで高い手数料を払って精錬をおこなってもらってました。
しかも、そこから採れる銀はわずか。めちゃくちゃ非効率なことをやっていたんですね。
神谷寿禎は大陸を行き来する商人だったので、それをよくわかっていたんです。
早速その技術を日本に取り入れ博多で精錬しようとします。
しかし、時は戦国の世。
採掘場の石見銀山から博多まで鉱石を輸送するにも略奪の危険が伴うため、逆に技術者を石見銀山へ移動させ採掘現場で精錬を行う方法に変えました。
工程は、まず要石という土台とする石の上で鉱石を細かく砕きます。
その後水の中でゆすりながら成分をより分けます。
すると比重の重い銀を含む鉱石が沈むわけです。
それに銀を吸着する鉛の合金をドロドロに溶かして混ぜ合わせると、その他の物質とはっきりと分かれるので、銀と鉛の塊のみをを取り出すことができます。
ちょっと難しいですかね…。
でもあと少しなので、頑張って読んでみてください。
最後の行程です。取り出した銀と鉛の塊を灰の上で熱します。
鉛は灰に吸収される性質がありますので、その結果銀のみが残るわけです。
これを何度か繰り返すことでより銀の純度を高めることができるようです。
要約するとこんな感じです。
素石から不純物の除去→鉛を加えて熱し「銀+鉛」と「その他」をわける→灰の上で熱し「銀」と「鉛」をわける。
大変な工程だったと思いますが、この灰吹法の普及により、日本は高品質の銀を生み出すことが可能となり、東アジアの交易において他国を圧倒する高い信用を勝ち取ることができたんでしょうね。
石見銀山のあとは、お決まりのように山吹城へ登城でーす。