●城あそびポイント
①天秤櫓は左右対称か確認してみよう
大手道と表門からの道が合流する場所にある「天秤櫓」。
中央にある門にのびる廊下橋を渡って中へ入れるような仕組みになっています。
両端に重りをのせた天秤のような姿から「天秤櫓」と呼ばれていますが、左右対称かどうか見てみましょう。
②彦根城から佐和山城までの距離を確認してみよう
彦根城築城の際には、丹羽長秀や石田三成が居城とした「佐和山城」の石や資材が使われたといわれています。
彦根城から、佐和山城があった山をみることができますので、どれくらいの距離になったのか確認してみましょう。
③彦根城内のみに遺された大規模な馬屋をみてみよう
彦根城には、国の重要文化財にも指定されている大規模な馬屋が遺されています。
当時21頭もの馬を収容することができたくらいの規模のものですが、どのような形をしどのように使われていたのかみてみましょう。
④国宝に指定されている天守と付櫓、多聞櫓に入ってみよう
現存天守12城のひとつであり、国宝にも指定されている彦根城の天守。
使われている破風の数は現存天守の中で最も多いですが、いくつあるか実際に数えてみましょう。
⑤「時報鐘」を聴きながら薄茶を楽しもう
江戸時代から、本丸下にある太鼓丸から鐘が鳴らされていました。
それは現在も続けられていて、朝6時~18時まで3時間おきに計5回1日に聞くことができます。時報鐘の横にある茶屋で薄茶をいただきながら、鐘の音を聴くのも良いかもしれません。
⑥人気最強のゆるキャラ「ひこにゃん」の写真を撮ろう
彦根藩井伊家二代当主の井伊直孝公を、お寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝わる英雄招き猫と、井伊の赤備えを掛け合わせて生まれた愛されキャラクター。
趣味が散歩ということもあり、毎日天守前の広場や彦根城博物館などに登場します。
スケジュールは、こちらから確認できますのでぜひ記念に写真撮影をしてみられてはいかがでしょう。
「ひこにゃん公式サイト」ひこにゃん登場スケジュール
●訪問前に読んでもらいたいおススメの書籍
「彦根城を極める」 サンライズ出版
著者:中井均
●彦根城の歴史
国宝に指定されている天守は、現在5城。
そのうちのひとつがこの彦根城です。
滋賀県彦根市にあり、1952年に国宝に指定されました。
彦根城以外の国宝天守は、現在、姫路・松本・犬山・松江だけです。
関ヶ原の戦いの戦功により、井伊直政(いいなおまさ)さんが18万石を与えられ、石田三成(いしだみつなり)さんが許状としていた佐和山城へ入城しました。
その後、直政さんは当時磯山という場所へ城を移そうと進めますが、関ケ原の戦いで負った傷がもとで1607年に他界。
重臣たちは直政さんの遺志を引き継ぎ検討を重ねた結果、徳川家康(とくがわいえやす)さんの許しを得て1608年に標高136mの金亀山に築城を開始しました。
この築城工事は、大坂の豊臣家や西国の大名に備える戦略的に重要な築城だったことから、幕府は全国の7カ国十二大名に協力を命じます。
20年以上の歳月を要した彦根城は、1622年に完成し、井伊家の居城は佐和山城から彦根城へ移りました。

彦根城は石垣などの遺構から、大きく分けて二度の普請により成立しています。
一度目の普請を「慶長普請」、二度目の普請を「元和普請」として分けられます。
「慶長普請」は公儀普請ですが、「元和普請」は井伊家単独での普請です。
いずれも石垣に特徴があり、第1期工事となる慶長普請では、石材の種類が複数あり、自然石と粗割石が使われ自然地形に順応した築城に対し、元和普請では使われた石材は一種で、粗割石と加工石で構成されています。そして、特に平地部では直線的・方形的な構造を持っているのが特徴です。
彦根城の大手門と表門の両方の坂道を登りきった合流地点となる要の位置には、重要文化財にも指定されている「天秤櫓」が築かれています。
この櫓は、廊下橋(戦時には切り落とし可能な橋)に接続する櫓の中央部分は、多聞櫓を二重櫓とし左右対称にしたことがその名前の由来となっています。
しかしよく見ると左右の櫓の方向は異なっており格子窓の数も左右違うので、実は対称ではありません。
この櫓は、長浜城の大手門を移築したものと伝えられていますが、断定はできていないようです。
また、太鼓門及び続櫓と馬屋も国重要文化財に指定されています。
太鼓門及び続櫓ですが、天守のある本丸の表口を固める櫓門で城内の合図のための太鼓を置いていたことから名付けられたといわれています。建物の背面が開放されていて高欄つきの廊下となっており櫓では稀な構造となっています。
馬屋は、当時藩主などの馬が21頭繋がれていたようで、城内に残る馬屋は全国にも彦根城にしかない珍しい建物となっています。
彦根城天守は、関ヶ原の前哨戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、1607年に完成しました。
政治的象徴としての外観だけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れたつくりとなっています。
外観の特徴としては、丸みを帯びた唐破風や切妻破風を駆使した変化のある屋根が挙げられます。これは、他の現存天守にはない美しさがあります。
井伊家は明治維新に至るまで彦根藩主として領民に慕われました。
代々の中でも13代直弼(なおすけ)さんは有名で、1853年4月に大老職に就任すると、アメリカとの交渉で日米修好通商条約を結んだことで尊攘派を激昂させました。
それらの不穏な動きに対し機先を制すべく断行した安政の大獄は有名ですが、1860年3月3日に江戸城桜田門外で水戸浪士らの襲撃を受け討たれてしまいました。
彦根藩は直弼さんの次男である井伊直憲(いいただのり)さんが跡を継ぎ、明治維新を迎え最後の彦根城主となりました。
