太田金山城の歴史

●城あそびポイント

①大手虎口の石垣を楽しもう
まるで映画にでてくるような石垣に囲まれた景色が広がります。
唐沢山城同様に、関東では珍しい石づくりの城の魅力を満喫できます。
道に排水機能が備えられているところも見どころです。

②堅い岩盤を大きく削りとった堀切をみてみよう
岩盤を削ることは、昔の技術力では大変な作業。
しかし、この太田金山城にはそんな堅い岩盤を大きく削り取った堀切を見ることができます。

③神秘的な貯水池をみてみよう
太田金山城の山頂付近には、石垣で囲まれた2つの神秘的な池をみることができます。
一方の池では、昔に祭祀で使用されていたようなものが発掘されたこともあり、神聖な儀式が行われていたのかも。

④遠くを見渡せる物見台からの景色を楽しんでみよう
物見台跡からの眺望は最高です。
太田金山城を目指し攻めてきた敵の軍勢の配置もここからであれば丸見えだったでしょう。城を守る城主の気持ちになって広く見渡せる景色を楽しんでみましょう

●訪問前に読んでもらいたいおすすめ書籍

「歴史作家の城めぐり」
 著者:伊藤 潤 監修:西股 総生 プレジデント社

 

●太田金山城の歴史

この城は、「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣でつくられた城はない」という従来の定説を、がっつり覆したほど石垣を多用した城としても有名です。

現地に足を運ぶと、その城郭の大部分に石垣が使われ整然と積まれている迫力に目を奪われるほど。

この太田金山城は、標高235mの金山に築かれています。

この城を築いたのは、新田氏の一族の岩松家純(いわまついえずみ)さん。

家純さんの家宰には、横瀬国繁(よこせくにしげ)さん、業繁さんがいて家純さんをよく補佐していましたが、家純さんが亡くなり孫の昌純(まさずみ)さんが跡を継ぐと、横瀬氏はその筆頭家老として家中での権力をより大きなものにしていきました。

昌純さんはその主導権を奪うべく、横瀬氏の排除を目論見ますが失敗。
逆に横瀬業繁さんの子の泰繁さんによって返り討ちとなり、その軍勢によって殺害されてしまいます。

これにより金山城での実権は完全に横瀬氏に移り、昌純さんの跡に新当主として擁立された岩松氏純(いわまつうじずみ)さんはその傀儡となってしまいました。

金山城主の岩松氏が、事実上横瀬氏の傀儡となり横瀬泰繁さんの子の成繁さんが家督を継ぐと、成繁さんは当主である岩松昌純さんを殺害し金山城を奪ってしまいます。

その後、成繁さんは由良氏と改姓し名実ともに独立。
その後、上野国の有力な国人として名乗りをあげました。

しかし、由良成繁の領国の上野国は、武田氏、上杉氏、足利氏、後北条氏といった強大な勢力に囲まれた不安定な場所です。

そのため、都度情勢を読みながら所属する勢力を変えながら、生き残りを計らざるをえませんでした。

1573年には、敵対する後桐生氏の居城である柄杓山城を落城させそれを奪うと、成繁さんは子の景繁さんに金山城を譲り、その後自身は柄杓山城で隠居生活を送りました。

1582年、甲斐の武田勝頼が織田信長によって滅ぼされると、信長の重臣で関東の支配を任された滝川一益(たきがわかずます)さんに他の上野国衆とともに仕えることになります。

しかしその同じ年に「本能寺の変」により信長さんが討たれると、金山城のある上野国を取り巻く情勢は大きく変わりました。

この機に領土拡大をはかるため、上野国へ進軍を開始したのが既に関東で大きな基盤を築いていた小田原を本拠とする北条氏。

由良国繁さんは織田方につき、滝川一益とともに神流川で北条軍と戦いますが敗北を喫し、その後北条方へ転じました。

北条軍が厩橋城を攻め落とすと、国繁さんはその祝辞のために北条氏直(ほうじょううじなお)さんへ出仕。
その際に氏直さんから常陸国の佐竹氏攻めのために金山城の借用を打診されます。
国繁さんはそれに承諾するも、これに反発した家臣達が国繁さんの母である妙印尼さんを擁立し金山城に籠城。

これにより国繁さんは北条氏により小田原城に幽閉されてしましました。

金山城に籠城した勢力は、佐竹氏や佐野氏と結び北条軍と戦いますが、遂に同年の冬に落城してしまいます。
金山城は北条氏照(ほうじょううじてる)さんに明け渡されると、国繁さんは柄杓山城に本拠を移し、その知行は安堵されました。

しかし国繁さんは、今度は自ら佐竹氏と通じて北条氏に叛旗を翻すものの後に降伏。柄杓山城は破壊され再び小田原城に移されました。

その後北条氏も豊臣秀吉さんによる小田原征伐に対し、徹底抗戦の構えをみせたため、国繁さんもそのまま小田原城に籠ることを余儀なくされます。

しかし、国繁さん不在の中、嫡男貞繁さんと母の妙印尼さんが秀吉さん方に与して功をあげたことにより、戦後は罪を問われることなく秀吉さんに仕えました。

後に妙印尼さんに常陸国の牛久が与えられると、国繁さんは母の跡を継ぎその地へと移ったことで金山城は廃城となりました。