滋賀県彦根市にあり1952年に国宝に指定された彦根城。
国宝天守は、彦根城以外では姫路・松本・犬山・松江だけ。

今回はそんな貴重な天守を持つ彦根城をご紹介したいと思います。

彦根城のはじまりは、関ヶ原の戦いの戦功により、井伊直政が18万石で佐和山城に封じられたことがきっけかけなんです。

佐和山城は、この西国の抑えと非常時に朝廷を守るための重要拠点として機能していた城で、豊臣政権では石田光成が城主として任されていた城です。

それだけ重要な場所ですので、徳川四天王の一人である直政が任されたのは頷けますね。

ただ、その頃はまだ、彦根城の「ひ」の字もありませんでした。

直政はこの地に赴くと、経済・流通の利便性などを考慮し、佐和山城ではなく、新たな城をつくることを計画します。

直政が当時の候補地として挙げていたのが、現在の米原市にある標高160mの磯山という山といわれています。
ここには、室町時代に既に磯山城という城あり、それを拡充していくかたちで築城を考えていたのだと思います。
確かにこの山からだと北にびわ湖、東に伊吹山が見渡せ、眺望がよく主要な流通路を抑えながら広く領地を治めるには良い場所です。

しかし、城地を決定する前に、直政は関ケ原の戦いの際に島津義弘を追撃した際に負った傷が元で、1607年に病没してしまいます。

重臣たちは直政の遺志を引き継ぎ、あらためて城の築城場所を何度も何度も検討を重ねます。

その結果、選ばれたのが現在彦根城が建つ標高136mの金亀山です。
そして、駿府の大御所様、徳川家康の許しを得て1608年に築城を開始していくんです。

この築城工事は、竣工した暁には大坂の豊臣や西国大名に備える戦略的要素を強く帯びることから、幕府は全国の7カ国十二大名に協力を命じました。
要は公儀普請です。

これにより20年以上の歳月を要し1622年には城郭はほぼほぼ完成。
その3年後には本丸天守も竣工し、その年の後半には念願だった井伊家の新たな居城は佐和山城から彦根城に移されました。

その後、彦根城は井伊家14代の居城として幕末まで多くの大老を輩出。
明治の廃城令に伴う破却も免れ、天守を含む江戸時代の多くの建物が現存しています。

一説には、早稲田大学創設者であり、第8代内閣総理大臣を務めた大隈重信の上奏により、建物が保存されたともいわれています。

では、ここで少し、彦根城がどのように築かれたのかを見てみたいと思います。

彦根城は石垣などの遺構等から、大きく分けて二度の普請によって成立しているんです。

彦根城の普請は2度に分けて考えます。
一度目の普請が「慶長普請」、二度目の普請が「元和普請」です。

「慶長普請」は公儀普請(幕府の指示により複数の大名が協力して築城)で、「元和普請」は井伊家単独で行ったの普請です。

それぞれ石垣に特徴があり、慶長普請と元和普請では、使われている石材の種類が異なります。

この櫓は天秤櫓と呼ばれています。
大手門と表門の両方の坂道を登りきった合流地点となる要の位置に築かれています。

廊下橋(戦時には切り落とし可能な橋)と呼ばれる接続する櫓の中央部分に、先程の二つの坂道に面している多聞櫓を二重櫓とすることで、左右対称となっていることがこの「天秤櫓」と呼ばれる名前の由来です。

左右対象にみえるのでイメージしやすいと思いますが、よくよく見ると左右の櫓の方向は異なってますし、格子窓の数も左右違うので、実は対称ではないんです😅
全然天秤じゃない!

この櫓は、長浜城の大手門を移築したものと伝えられていますが、本当のところは謎です…。

建物の土台となる石垣にも違いが見られ、右側が築城当時に越前の石工たちが築いたとされる部分(打込みハギ積み)。
左側が江戸時代後期の改修によって築かれた落とし積みという積み方の石垣になっています。わかりますかね…?


こちらは太鼓門及び続櫓で、国の重要文化財に指定されています。
天守のある本丸の表口を固める櫓門で城内の合図のための太鼓を置いていたことから名付けられたといわれています。

建物の背面が開放されていて高欄つきの廊下となっていて、櫓ではすごく稀な構造となっているんです。


次に馬屋です。当時は藩主などが乗る馬が21頭繋がれていましたといわれています。
今でいう、ここが当時のお城のロータリーですね。

城内に残る馬屋は、全国にも彦根城にしかない珍しい建物で、こちらも太鼓櫓同様に国の重要文化財に指定されています。

最後に彦根城天守です。
関ヶ原の前哨戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、1607年に完成しました。
政治的象徴としての外観だけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れた建物となっています。

外観の特徴としては、丸みを帯びた唐破風や切妻破風を駆使した変化のある屋根が挙げられます。これは、他の現存天守にはない美しさが感じられますよね。

現在、世界遺産暫定リストに掲載されているものの、まだ世界遺産登録には至っていないので、なんとか登録にまで漕ぎつけてほしいと思います。

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